東京高等裁判所 昭和35年(ツ)65号 判決
百貨店が一定の顧容に対し掛売の方法をとつていることは、かなり知られていることであり、ただそれが如何なる内容の契約又は商慣習によるかに問題がある。上告人はこれを商慣習によるものと主張し、上告人の主張するような内容の商慣習が果して存在するか否かが争点となつたものであることは記録上明白である。即ち本件にあつては百貨店が掛売するか否かではなく、商慣習の存否及びその内容換言すれば、いわゆる口座名義人が如何なる範囲の購入(家族などが口座名義を利用した購入)について買主としての責任を負うかに関する商慣習の存否が問題なのである。原審がこの商慣習の存否及びその内容について鑑定人桜木平八郎、同小池省吾の両名を尋問し、所論引用のように説示し、上告人の主張するような商慣習の存在を肯認し得ないものとしたことは記録に明らかである。ところで鑑定人両名の鑑定によるも、どの範囲までを家族としてその掛買を認めるか明瞭を欠き、デパートにより取扱が異るようであるし、又小池鑑定人の鑑定によると、「多額に過ぎる掛買若しくは高価な貴金属類の掛買の場合は本人に照会することになつている」というのであつて、金額の上でも限度があるようであり、これと異り桜木鑑定人はこの点につき「本人に照会するのはデパート側のサービスである」と述べている。これらの諸点を考慮すると、本人が責任を負うと言つても、実はデパートにより掛売金額の点に於て又家族の範囲に於て相違するものがあるかのようであり、従つて両鑑定人の鑑定によるも各デパートに共通した内容を有する商慣習の存在は必しも明らかにされないとする原審の判断は不当とは言いがたく、はたして然りとすれば、これらの鑑定を採用せずして商慣習の存在を否定した原判決の説示は、結局これを肯認することができる。
ところで購入者が口座名義人によつて紹介された長男夫妻であるか否かは上告人の主張する商慣習を前提とする問題であるが、既に商慣習の存在自体が肯認されないこと前示のとおりである以上右の問題はもはや立ち入つて論ずるに値しない(なぜなら長男夫婦が口座名義人の代理人又は使者として本件売買をしたかどうかは本訴で問題とされていないからである)。よつて論旨はいずれも理由がない。
(梶村 室伏 安岡)